INNOVATORS CAREER

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岩田さん1
COO(最高執行責任者)

ネットゼロ実現に向けて サプライチェーンのCO2見える化・削減クラウド事業へシフト

アスエネ株式会社取締役岩田圭弘

慶應義塾大学経済学部を卒業し、2009年に株式会社キーエンス入社。高額商品事業部で伝説の営業マンとして活躍後、三菱UFJコンサルティング株式会社に転職。戦略的コンサルを経て1年で再びキーエンスへ復職、新規事業立ち上げに携わった。順風満帆に売り上げを伸ばし収入も大幅アップ。出世コースを歩み将来を嘱望されるも経営側の仕事に就きたいという想いから2020年アスエネ株式会社の共同創業者としてジョイン。現在COOとして事業成長の牽引役として尽力されています。安定した大企業からスタートアップへ転職された理由とは? 事業のポテンシャル、いま求める人材とは? 岩田さんの子ども時代も紐解き、スタートアップでの活躍につながる熱量の源泉についてお話しを伺いました。

■3期連続1位、伝説の営業マンが痺れた経営者の金言

岩田さん3

--- 岩田さんは新卒で入社したキーエンスで語り継がれる伝説の営業マンと伺いました。アスエネまでの職歴はお話しされ尽くしているかもしれませんが、きょうは改めてお聞きしたいと思います。もともと営業力に自信がおありでしたか?

いやぁ営業は最初ダメで、同期入社した仲間の方が先に受注していたり、自分は売れるまで時間がかかったりで、なかなかうまくいかなかったんです。入社2年目の上期が勝負と言われて営業をしていたら、新人ランキング1位を取れました。そこから『何のために仕事をするんだろう?』とモヤモヤしていたら横浜営業所から名古屋へ転勤となりました。『私は営業の仕事が向いているんだろうか?』と思っていた時、日本電産の創業者 永守重信氏の本を手にして、そこに書かれていた「一番以外はみんなビリ!」「下駄箱も1番しか使わない」など、数々の言葉に衝撃を受けました。トップの人はこんなふうに考えるものなのか……と自分の人生を改めて振り返った。微妙な所で自分は満足していたんじゃないか。一度本気になって頑張ってみて、ダメなら向いていないからやめようと腹を括りました、本気で一番になる努力をした結果、3期連続1位を取ることができました。

---永守さんの言葉に喝を入れられたのですね。なかなか厳しい捉え方をされるなあという印象です。

今でも永守さんの著書をよく読みます。自分も35歳には経営する立場になりたいと考えていたので、経営者はこれぐらいの考え方で臨まないとダメなんだと反省できたのは自分にとって大きな出来事でした。

もうひとつはワタミの渡邊社長の著書「夢を日付に」という本を読んで、何歳までにどうなっていたいかを手帳に書けば実現するという説を基に、自分なりに書いてみたんです。35歳までに好きなように仕事をしたいというのもその時書いた。将来像をあの時具体的に描いていてよかったと自分でも感じています。

---キーエンスからコンサル会社に転職をされましたが、それは何を求めて?

岩田さん4

キーエンスでは同期最年少でマネージャーまで経験して本社に異動。いわゆる出世コースに乗って、これは上の方までステップアップして経営まで携われるんじゃないか?と思ったのですが、本社で経営側になるまではやはり距離があると感じました。私は生き急いでいるものですから「自分の描いている時間軸で経営する立場まで行くのはなかなか難しいんじゃなかろうか」と。それで経営を学びたくて、一旦コンサル会社に転職しました。30歳までに経営を学ぼうと意識していたので、一度目の転職は28、29歳頃のことでした。

---コンサルに転職されてからはいかがでしたか?

3年くらい経験して事業会社に行こうと思って、そんなに長くいるつもりはなかったんです。コンサル会社で最後に手がけたのが事業会社の新規プロジェクトの策定。会社が生き残るために何をしていけばいいか、真剣に皆が議論している姿がいいなと思いましたし、その頃にたまたまキーエンスの同僚や事業部長と会う機会があり、『事業会社ってやっぱりいいですね』と話していたら、偶然、キーエンスが新規事業を立ち上げるタイミングで。『事業会社を考えているならどうだ』というお話をいただきました。キーエンスで新しいプロダクトを立ち上げるのは稀少だと思い、2016年にキーエンスへ戻ることにしました。ちょうど30歳の時です。そんなふうに戻る人はほとんどいないレアケースでした。

---キーエンス復帰後は思い通りのお仕事はできましたか?

新規事業の立ち上げに携われて、苦労もかなりありました。取り扱い製品のスペックがネックで自信を持って売れずに落ち込みかけたこともあります。ただ、ひたすら前向きにどうすればプロダクトが改善されるか、この状態の中でも幸せになれるお客様の像とは何かという問いに向き合いました。いろんなことがありつつ何とか乗り切ったという感じです。この時に前向きに考えれば、いかなるハードシングスも乗り越えられると学びましたし、周りの人にも恵まれました。

■無形商材で社会貢献性の高い仕事

岩田さん5

---順風満帆なキーエンスを再び飛び出し、アスエネに転職されたのは何故?

キーエンスで新しいプロダクトが立ち上がり満足していましたが、35歳までに経営に携わる夢を実現するには一刻も早く転職しなければという想いでした。家族もいたので待遇は下げられない。年収も同等で高い役職を約束してくれた他の会社に転職をほぼ決めかけていた時。たまたまエージェントからの紹介で『アスエネで創業メンバーを探している』と聞いて、ちょっと怪しいし(笑)可能性は低いと思いつつ、『一度話だけは聞いてみよう』と。本当はキャンセルしようと思ったくらいでした。

でも話を聞いてみたら、西和田は慶應の同級生で、学部は違いますが私と同じく大企業辞めて起業。フィーリングも合って2、3度話をするうちに、有形商材より無形商材はターゲットになるお客さんが広い層で、社会にインパクトを与えられる。私は社会貢献性の高い仕事をしたかったので、無形商材というまったく分野の違うところで自分のスキルがどこまでチャレンジできるのか挑戦できるのも魅力でした。当時の年収から3分の1くらいになりましたが、生活できる年収は確保できているのでアスエネに決めました。

---キーエンスでの年収は相当高かったようですが、社会貢献性のあるビジネスに関わりたい気持ちが大きかったのですね。ところでスタートアップとはどのような環境なんですか?

とにかく何もないですよね。顧客もまだいない、人もいない。経営というのは総資産を上手く活用して高い利益を上げることだと考えています。ただスタートアップには資産という資産がない。ただ、それも自分たち次第なんです。自分たちでありたい姿から逆算してどういう意思決定をするか。それで生きるか死ぬかも自分たち次第。この手触り感は大企業では絶対味わえないと思います。新規事業でもそうそう会社がつぶれることはないですからね。

---お金がないとはいえ、投資会社がたくさんついていますね。

環境がよくなってきた。私たちが就活していた時はVC(ベンチャーキャピタル)という文化は無くてスタートアップと言えば無給かつ無休で働くのが当たり前でした。一回給与をもらって働くと、無給という選択肢は正直選びにくい。弊社も7500万円をシード期で出資してもらっているので、それは本当にありがたかった。マーケティングもできますし、優秀な人材も雇えます。給与面にしても『大手企業よりスタートアップのほうが待遇がいい』と日経新聞に先日報道されていました。VCのおかげで大手からも転職しやすくなったと言えます。ただ、待遇改善を求めてスタートアップに入るのは違うと思います。多少それを犠牲にしてでも成長を求めるというのがスタートアップに入るあるべきスタンスだと考えています。会社の費用を減らして利益を出せば、それが自分たちに還元されるのですから。

---アスエネは今、具体的にどのようなビジネスをされていらっしゃいますか?

最初は、企業向けに再生可能エネルギーの小売り事業をしていました。環境貢献しながら電気代も従来と変わらないくらいの価格で提供する、電力の小売りをスタートしました。企業は、電気代は変わらず再生エネルギーに換えられて「私たちは再生エネルギーを使っています。SDGsに貢献しています」というブランディングにも繋げられるビジネスモデルでした。ソフトバンク電気、au電気などに東京電力から変えられたりすると思いますが、いわゆる新電力という電力の小売りの事業を手掛けていました。

■電気の小売り事業から、CO2見える化・削減クラウドサービスへシフト

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CO2削減のソリューションからスタートしたわけなのですが、途中で企業のCO2の現在が測定できていないことに気づきました。例えるとダイエットしましょうと言っているのに体重が分からないということに違和感を感じました。そしてスタートしたのが弊社の現在のコア事業となった「アスゼロ」です。サプライチェーンのCO2見える化・削減・報告のクラウドサービス事業。スタートして1年7か月経ち、3,000社を越えています。(2023年3月末時点)おかげさまで、かなり大きくグロースができています。3月のシリーズBのサードクローズでは、累計31億円資金調達もできました。

---順調な業績ですね。アスエネには今どんな人材が必要ですか?

岩田さん8

熱量のある気合の入った人。営業チームは皆そういうモチベーションです。素直ですごく成長意欲がある。大企業だとやりたいことができなかったり、職域が細かく決まっていたりするため、大きく成長したい人にとって若干堅苦しい環境だと思います。自分のポテンシャルをもっと開放していきたい、あるいは起業したいとか、そういうエネルギーのある人はスタートアップにすごく向いている。無限に仕事があるので、成長機会を無限に提供できます。

逆に指示待ちの人には厳しい環境です。与えられたことしかやらず早く帰ります…というような人は絶対無理。成長する意欲があって、それを実現するまでノウハウを身に着けたい人ならドンピシャな環境です。

---既に完成されたビジネスかもしれませんが、次に構想する未来予想図はお持ちですか?

アスエネのミッションとして「次世代によりよい世界を」と掲げています。気候変動は日本だけでなく世界共通の課題。グローバルで一定の存在感を出さないとミッションは達成できません。世界で勝つレベルで経営するには、会社も私もまだまだ完成形には達していない。10年後は当たり前にそれが叶うことを目指して頑張っていこうと思っています。

シンガポールでは既に稼働していますが、まずはアジア展開。アジアをはじめ、世界で勝たないとならない。その国で勝つ組織を作れるか? 現地人の雇用拡大も見据え、ローカルの採用もしながらしっかりやっていきます。

---素晴らしい。ちなみに岩田さんはどんな子ども時代を?たとえば次世代を担う子どもの教育はどんなふうにお考えですか?

いやぁ私は子どもの頃、ちっとも勉強しなかった(笑)。兵庫県宝塚市で小、中、高と地元の公立校に通っていました。中学でソフトテニス部に入り、活動に打ち込んで市大会優勝。でも進学した高校にソフトテニス部がなく。どうしてもやりたくて新たに部を創設しました。今思えば、それが初めてのスタートアップでしたね(笑)。

父は英語科教員で、自由奔放で強制されたことがない。放任されて育ったおかげで私は決断力が付いた。わが家の教育方針は、本人がすべて選択して決めるという前提で、いろんな世界があることは見せてあげたい。私が慶應義塾大学へ行って良かったのは外資系の投資銀行を知れたこと。視点が上がることで自分の目指すゴールも高くなっていく。常に視点を高めることは子どもたちにも教えていきたいです。

---ちなみに岩田さんがスタートアップへ転職された時の周囲の反応は?

キーエンスに入社すると決めた時、まず家族に反対されました。BtoBのサービスで知名度も低いし事業内容もイメージが湧きにくい。親としてはPanasonicとか日立などCMでお馴染みの有名企業へ行ってほしかったようです。でも私は「いや、オレは行く。いつか親孝行するから」と説得して入社を決めました。両親や妻に言われますが、私は自分が思ったことはやらないと気が済まないタイプでよく知っている人からはすごく頑固と言われます。自分ではそう思いたくないのですが(笑)

---ありがとうございました。

(2023年2月リモート取材:あべみちこ)

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